雪見だいふく「愛媛みかん」を食べたら、幸せが包まれていた

先日、近所の100円ローソンにて、雪見だいふく「愛媛みかん」を見つけた。

小さい頃から、この雪見だいふくが好きだ。

小学生くらいの頃、田舎のスーパーで雪見だいふくの「いちご」味を食べた時に、あまりのおいしさに衝撃を受けたことを覚えている。

だが、それ以来なかなか雪見だいふくの「いちご」味をみかけることは、まずなかった。

あったとしても、大きな箱に何個も小さい雪見だいふくが詰め合わせてあるタイプのものだけだった。

まぁそれでも味は変わらないからいいのだが、あの、普通サイズの雪見だいふく「いちご」味を、何度も探したものだった。

 

そのまま月日が流れ、今回、雪見だいふくの「愛媛みかん」を見つけたのだ。

特に、みかんが好き、というわけではない。いや、好きではあるのだが、雪見だいふくでその味を見かけたところで、あの「いちご」に勝る喜びは、ない。

だが、雪見だいふく自体は好きであるから、どういった味なのだろうといった好奇心から、それを購入した。

家に持ち帰り、あの何年もかわらない容器のフタをめくり、いざ、食べてみる。

まぁ、普通に美味しい。「愛媛」の要素は正直よくわからないが、みかん味の、美味しい雪見だいふくだ。

それでもやはり、あの「いちご」には、敵わない。

だが、問題はそこではない。問題は、味ではないのだ。

フタをめくった時、あるものに気づいた。それは、フタの裏に書かれたとある文章だった。

この文章が、すべての雪見だいふくに書かれているのか、そして雪見だいふくごとにその文章が違うのかどうかは、わからない。

今までも書かれていたのを、自分が見逃していただけということも十分にありえる。

だが、今回は、その文章に気づいてしまった。

特に、特別な文章ともいえない、ごくありきたりな文章とも言えるだろう。

だが、なぜか、その文章に心を打たれてしまったのだ。

まさか、雪見だいふくに、しかも味以外の部分で、心を打たれる日が来るとは思わなかった。

いかに日本の食文化が、たとえそれがアイスといえど、優れているのかがわかるような文章だった。

そこには、こう記されていた。

皆さまへ

雪見だいふく愛媛みかんを食べてくださりありがとうございます。

爽やかなおいしさを感じてもらえたら、幸いです。突然ですが、皆さまにとっての幸せは何ですか?人によって幸せを感じることは違うかもしれません。

あなたが幸せでいることが幸せだと感じている人がいるかもしれません。

自分をちゃんと幸せにしてあげながら、周りの人も幸せで包める人になれたら素敵ですよね。世界中が優しい幸せで包まれますように。

雪見うさぎより

”雪見だいふく「愛媛みかん」のフタの裏より引用”

 

雪見うさぎというのがなんなのかはこの際置いておいて、この文章には、心を打たれてしまった。

もう一度いうが、特にインパクトのある文章が書かれているというわけではない。

だが、アイスのフタを開けた時に、この文章が目に入ってきたのだ。

あの、幼少期から慣れ親しんだ、雪見だいふくのフタの裏だ。

自分をちゃんと幸せにしてあげながら、周りの人も幸せで包める人になれたら素敵ですよね。世界中が優しい幸せで包まれますように。”

なんともステキな文章なのだろう。

このご時世、幸せの定義というのは、難しい。

日本にはあらゆるものが溢れている。

だが、幸福度が高い国であるとは、言えないだろう。

それでももっともっと、小さな部分に幸せを見つけることができたなら、皆、もっともっと、幸福感を得ることはできる。

雪見だいふく「愛媛みかん」には、そんな幸せが包まれていた。







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